淡路島の沿岸をめでるこのコーナー。
第3回目は、生石鼻(おいしのはな)を紹介する。
洲本方面から由良へと海沿いの道を行く。
由良漁港をさらに南下し、造船所などがならぶ細いくねくね道をすぎると、生石への分岐路がある。
鬱蒼とした木立を抜けたら視界が一気にひらける。
生石鼻だ。
道の先に見えるのは高崎と呼ばれる成ヶ島の高台。
頂には高崎灯台の姿がはっきり見える。
あの灯台には、まだ行ったことがない。
由良港から連絡船で成ヶ島に渡り、徒歩で島を南下するとアクセスできるらしい。
機会があれば行ってみたいと思う。
生石鼻の突端にて。
眼前のこの光景が、大阪湾と紀伊水道の境目、いわゆる紀淡海峡だ。
今日は対岸の和歌山もはっきり見える。
高崎と生石鼻のあいだを、漁船が通っていった。
この地は成ヶ島という天然の防波堤に守られた良好な漁港である。
だけど高崎とここ生石鼻は、実はもともと繋がっていたのだという。
どういうことなのか少し説明したいので、下の図を確認しながら読んでほしい。
江戸時代までは、成山と高崎の間が開いていたらしく(図の左)、
現在は成ヶ島の一部である成山と高崎は、当時はまだ陸続きであった。
だけどこの地形では台風などが来ると被害が大きかったらしい。
江戸時代に入ってからその旧湾口を閉じた。(そして古川口と呼ばれるように)
そのかわりに、成山側に新川口を(図中央)、高崎側に今川口を作り(図右)、
現在の成ヶ島の形になったということだ。
私は、昔の人たちから見ると、すごい未来に生きているのだな……
(ちなみに上図は分かりやすく説明するためのなんちゃって図解であって、詳細な考証などは行っていませんので悪しからずご了承のほど……^^;)
今川口、生石鼻の突端には、波切不動明王が祀られている。
いろんな想いが込められているのだろう。
振り返ると断崖。
中央構造線が東西に走るこの地ならではの景色。
あの崖の上には、生石公園がある。
行ってみよう。
生石公園には、台場跡があることで有名だ。
かなり大規模な施設だったようだ。
だが詳しいことは私は知らない。
公園は歩道などが整備されているが、人影はまったくない。
野生動物の息遣いのみが周囲に満ちている。
大の大人が心寂しくなるほどだ。
複数人で行かれることを強くおすすめする。
森の中の薄暗い歩道をしばらく歩くと、開けたところに出る。
そこには古式ゆかしい白灯台が。
心躍る瞬間である。
『生石鼻燈台
生石鼻南方照射燈
初点 昭和四十九年三月』
小さなタイルが丁寧にびっしり。
そして丸い明り取り窓。
その窓の周辺のタイル処理。
重厚な扉。
こりゃたまらんのぉ。
……さぁ、次はどこの沿岸を歩こうか……。